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カウンセリング日記

愛してるよー  愛に関する独り言

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最近の私はなんとなく「愛してるよー」と叫ぶことが多くなったみたい。相手が男女にかかわらず。多少の作意はあったとしても、その気持ちは嘘ではなくて、愛おしい思いがあればこその言葉であることも確かです。

先日も長年かかわってるあるクライアントが「最近やっと愛が何かを感じられるようになった」と話してくださいました。その方だけでなく、多くの方に私は「愛してるよー」と叫んでますから(笑)

子供の頃から暴力や激しいコントロールを受けて育った人は、大人になって家庭を持った時に、なりたくない親の言動を自分も行ってしまうことに激しい自己嫌悪を感じてしまいます。その不全感はさらなる怒りとなって、家族や自身への暴力となってしまいます。

そんな人に暴力やめろと説いたところで、やめたフリはできても、いつか爆発してしまうのがオチ。

さきほどのクライアントだけではないけれど、生育の中で無条件の受容やら愛を大人たちから受けていない人は、自分が家族を愛したり、愛されたりするその実感を理解できないようです。

そんな人は、家族ファンタジーや恋愛妄想、そして家族役割意識に依存することで幸せになれると思い込み、それが愛だと勘違いしてるかも。けれど、病気、事故、倒産、出産・育児などで役割がこなせなくなった時に、たちまちその関係は破綻してしまいます。本当の愛ではなくて、役割意識と依存心なのだから。

ほんとの愛って何でしょね。現代日本語の「愛してる」は特に親しい関係の感情を言うみたいだけれど、近代化以前の意味とは異なるようだし、西欧の「Love」とも違うみたい。「愛」の意味はどうも厳密には定義できないようです。

そんな現実の中で、私が「愛してるよー」と叫んだとき、それは性愛とは違うし、家族愛とも友愛とも違う・・・何なんだろ・・自問自答するなら・・

すなおに「いとおしい」と感じる感情で、評価や依存とは無関係、あるがままの存在に対しての受容的共感的な感情、強いて言うなら「母性愛」に近いものかもしれません。

こんな感情が日常的に私の心の中にあるとして、それは私の心身にどう影響しているのか、多分、心身にとてもいい影響を与えているのではないかと妄想する私。だから不安や怒り、悲しみや恐怖から解放された豊かな自分を生きてられるのだろうと思います。ほんとありがたいことです。

たぶんこの思いが溢れて愛おしく感じる人たちに「愛してるよー」と叫んでしまうのでしょうねぇ。

 

 

 

 

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